U.M.I Film Makers 航海日誌

映画製作ユニット「U.M.I Film Makers」の活動の日々を記した航海日誌です。

船長の航海日誌33~最終出力媒体

f:id:umifilm:20180516162013j:plain

こんにちは、船長の武信です。
本日は具体的な撮影エピソードではなく、ちょっと概念的な話をw

 

舞台がメインの俳優さんが映像に出て演出家に「演技がオーバーだ」と言われた…みたいな話は半ば都市伝説的に流布されておりますが、実際のところどうなんでしょうね?
ありそうな話ではあるけれど具体的に聞いたことはないような気がしますw

 

…そもそも演出家だったらこういう言い方しないんじゃ無いのかなぁというのも常々思ってる疑問。
単純に「オーバーなのやめて」とか「抑えて」とかでは俳優の感情の動きの部分を抑制してしまいかねない言い方なので舞台と映像の両方にある程度の見識がある演出家ならこういう言い方はしないんじゃないのかなぁ…などと。

 

舞台俳優の演技と映画俳優の演技で一番違うのはオーバーかどうかというような単純な話ではなく、作品を観客に届けるための最終媒体を俳優が担っているかどうかの違いだと思っています。

 

舞台作品の場合は俳優が直接観客と作品を繋ぐ最終出力媒体なので、自分の声や体を使って自分のできることは可能な限り多く表現しきろうとする傾向が強い。
勿論、客席最後列、場合によっては二階席・三階席にまで演技を飛ばさなくてはいけないので、そういう演技の圧が強くなるという面もあるでしょうけど、そこはそんなに重要な問題ではない。
これは演出家が「もっと近くの人にだけ向けて演じて」で済む話なんですよねw
そしてこのリクエストが通じない舞台俳優さんも余り居ないと思われます。

ところが映画の場合は最終出力媒体が俳優ではなくて映像になる。
大抵の監督は脚本に書かれている出来事を如何に可能な限り映像に置き換えるか」について考えます。
言ってみれば俳優が演技でやろうとすることを映像でやる訳です。
つまり俳優さんが演技で自分の身体で表現しようとしたものを、映像自体も別の方法で二重にやっちゃう…という事態が生じるんですなw

これがいわゆる「舞台俳優の演技は映像ではオーバー」の正体だと思っています。

本来分業でわけわけして表現すれば良いものをお互いに100%でやっちゃうから、そりゃ観てる人からするとゲップが出るほどクドくなるのは当然で、しかし、これを俳優のせいだけにするのは違うのではないか…っていうw

「ここはこっちでやるから任せて」とか「こっちでは表現しきれないので、そちらでやって」という方法で解決するべき問題なんですよね、本当は。

…まあ、理窟ではわかっていてもそれがどの程度現場で実践できるかは別問題で、さあ、『その日、恋は落ちてきた』はどうなっていますことやら。
日々、省みながらは作業しておりますよ!

残すところ、撮影もあと一回!
頑張るぜ!!!

f:id:umifilm:20180516161736j:plain

 後輩に餌付けされる主演女優の図。