U.M.I Film Makers 航海日誌

映画製作ユニット「U.M.I Film Makers」の活動の日々を記した航海日誌です。

船長の航海日誌82~映画『さようなら』の撮影話③

こんにちは。船長の武信です。


映画『さようなら』映像演出の振り返り第三回です。
前回までは「息苦しさ」とか「淡路島であること」というような映画全体の映像の方向性みたいな部分についての話でしたが、今回はそれを踏まえての「各シーンのコンセプト」のお話など。


映画全体の映像の方向性が決まったらあとは自動的に全てのカット割りが決まる!…などという事は勿論無いです。
無いというか有りにしちゃダメ!
正確に言うとダメってこともないですが、全体方針だけでやっちゃうとメリハリの無い映画になりがち。
『さようなら』の場合は、初演から何年も掛けて改定され様々な賞を受賞した舞台劇の戯曲を脚本として使っているし、舞台版を長らく演じてきた舞台版オリジナルキャストのままのキャストなので登場人物の感情描写も確立されている為、全体方針だけでやっても一定以上面白い映画にはなったとは思うのですが、自分たちがこの作品が好きで映画化する以上自分たちが信じている「『さようなら』の面白さ」を下回る訳にはいかないので、もっと他の工夫もするのですw

スナック「作戦会議」

特に顕著なのはこのシーン。
末田とチェンが柴田と宮崎に社長の脱税を打ち明けて共犯を持ちかけるシーンで製作中は「作戦会議」と呼ばれてたシーンです。


このシーン、脚本上の台詞を素直に追ってカット割りすると恐らくはほぼ末田と宮崎の会話をカメラが追うことになるんですが、それだと脚本の物語や俳優の台詞以上のサスペンスが生まれない。
それで満足する手もあるのですが、ここは脚本や俳優以外の要素として映像が他の面白さを追加する形で進む方がより面白いはず。
そこでフォーカスを当てたのが…

「作戦会議」の柴田

舞台版でもこのシーンでは柴田は一人だけやや離れた場所に居て末田と宮崎の会話を聞いているのですが、映画版では明確に「柴田が末田と宮崎の会話を聞いて驚いたり焦ったりしているシーン」に見えるようにカット割りする形で映像化しています。
具体的には重要な台詞は基本的に柴田が聞いている台詞として柴田のアップを挟むという即物的にして単刀直入な方法w
(とはいえ即物的な方法以外には映像は取り得ない)
会話にほぼ参加しないキャラが主人公として強調されることで「望まぬ事件が勝手に進行していく」という柴田からみたサスペンスが加味出来たのではないかな…と思っています。


因みにこの狙いは考えた野村監督と俺の間では当然事前に共有できてたのですが、他の撮影スタッフには意図を明確に説明せずに実施したので「何でこのカメラはこんな台詞の無いところ一杯撮ってるんだ…」みたいに思われてた模様w
…判らんではないwww

撮影風景